現在のハンブルクの紋章は3つの塔とひとつの門が描かれた城塞である。
この城塞は何を描いたのかははっきりしていない。9世紀に建てられたとされるハンマブルクか,11世紀に建てられた石造りの城(例えばBischofsturm),あるいは1240年に築かれた市壁をあらわしたものと考えられている。
中央にある十字架を冠した塔は,中世の聖マリア大聖堂(Mariendom)と解釈されている。また,両脇の塔の上にはマリアの象徴である星(Marienstern)が描かれている。
城壁は都市が堅固に守られていることを示し,固く閉じられた門は都市の独立を表現している。
このデザインは非常に古くまで遡る。というのも,これは現存する最古の都市印章(1241年)と同じデザインなのである。
ところで,中世ヨーロッパの都市印章は独特な利用のされ方をした。証書などの重要文書の下部に吊り下げることで,その文書が真正の発行者により作成されたものである証拠となった。
日本の印鑑と同じようなものである。
中世都市印章と現在の都市紋章は,必ずしも同じデザインではない。たとえばリューベックの印章はコッゲ船に乗る商人(左)と船乗り(右)だが,紋章は双頭の鷲である。ブレーメンの印章に描かれているのは都市の守護聖人である聖ペテロ(右)と皇帝(左)だが,紋章では聖ペテロのもつ鍵だけが受け継がれている。
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リューベックの印章 | リューベックの紋章 | ブレーメンの印章 | ブレーメンの紋章 |
ちなみに前述の大ハンブルク市(Groß Hamburg)を構成する各行政区の紋章は以下のとおり。
アルトナ Altona | ![]() | ハンブルクの紋章とよく似たデザインだが,ハンブルクの紋章が中世まで遡れるほど古いのに対し,アルトナの紋章は1664年にこの地を支配したデンマーク王によって与えられたものである。 門が開かれている点が,ハンブルクの紋章と大きく異なる特徴である。これはかつては自由と寛容の象徴とされていたが,現在ではデンマーク王による支配をあらわしていると考えられている。 ちなみに紋章下部の青い波模様はエルベ川をあらわしている。 |
ベルゲドルフ Bergedorf | ![]() | 3つの山に3本の木が描かれている。 1420年から1867年にかけて,ベルゲドルフがリューベックとハンブルクの共同支配下に置かれた頃は,この木に両都市の紋章が付けられていた。 |
アイムスビュッテル Eimsbuttel | ![]() | この紋章のデザインは比較的新しい。 左上は水道塔(Wasserturm),右上はニーンドルフ教会(Niendorfer Barockkirche),下にはハーゲンベック動物園の象が描かれている。水道塔のあるSternschanzenparkは現在は行政上,アルトナ区の一部とされている。 |
ハールブルク Harburg | ![]() | ハールブルクは2008年までヴィルヘルムスブルクとひとつの町(Harburg-Wilhelmsburg)だった。そのため,紋章には両都市に共通する歴史が反映されている。 獅子は中世にハールブルクを支配したヴェルフェン家の家紋である。ヴェルフェン家はハインリヒ獅子公の出身の家系であり,17世紀にはヴィルヘルムスブルクも領有した。 両脇の塔の上に描かれている百合は,17世紀にふたつの町を統治したフランス出身の女大公エレオノール・ドルブルース(Éléonore d'Olbreuse)を想起させる。 |
ヴァンツベック Wandsbeck | ![]() | 帽子,杖,カバンが旅人を連想させる。 もともとこのデザインは,ドイツ初の大衆紙である地元新聞「ヴァンツベッカー・ボーテ Der Wandsbecker Bothe」のロゴマークであった。ヴァンツベッカー・ボーテとは「ヴァンツベックの使者」という意味である。 この旅人のようなデザインは各地の情報を送り届けるメッセンジャーを表現しているのだろう。 |
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記事の上から2番目にあるハンブルクの印章の画像の作者はRalf Harteminkさんです。ウィキペディアの利用規約に基づき表示-継承-3.0 ライセンスが適用されます。
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