ひとつの石像には'Ansgal'(アンスガル),もうひとつには'AdolfV'(アドルフ3世)と刻まれている。アンスガル,アドルフ3世といえば,両者ともハンブルクの歴史上重要な役割を果たした人物として知られている。
アドルフ3世(写真左)は12世紀後半に「司教の旧市街」に対し「伯の新市街 」(Gräfliche Neustadt)を建設,そこに多くの商人を誘致した人物である。この頃ハンブルクの商工業は著しく発展し,アドルフ3世が皇帝フリードリヒ赤髭王から商業特権を獲得したことによりハンブルク港が「開港」したとされている。
※1 アンスガルはルートヴィッヒ敬虔王の委任により,ハンブルクとブレーメンを拠点に北欧へのキリスト教布教に腐心した。
※2 史料上での最初の言及は1266年,今日のトロスト橋は1883年に建設されたものである。
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