ハンブルクの歴史 近世編(上)

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120px-Flag_of_Denmark_svg.jpgデンマークとの対立
ハンブルクの名目上の統治者であるシャウエンブルク家はハンブルクの政治にほとんど介入しなかったため,都市は事実上の自由と独立を謳歌していた。しかし15世紀中葉にその状況に変化が生じた。1459年にアドルフ8世が嫡子をもたずに逝去したことにより,ホルシュタイン伯の後継は彼の甥であるデンマーク王クリスチャン1世にわたることになった(伯の地位は1474年に大公に格上げされる)。
クリスチャンはハンブルクに対する支配権を貫徹しようと試み,ハンブルクに臣従の宣誓を迫った。ハンブルクは巧みな外交によりそれを回避し,都市の独立を保つことができた。しかしデンマークとハンブルクの主従関係をめぐる問題は決着せず,デンマークが最終的にハンブルクの独立を認めたのはようやく1768年になってのことだった。


j0310062.jpg宗教改革の時代
16世紀,マルティン・ルターやジャン・カルヴァンの登場とともに,ヨーロッパ・キリスト教世界に嵐の時代が訪れた。カトリック教会の権威を根底から揺るがした,宗教改革である。カトリック(旧教)に対してプロテスタント(新教)が生まれ,そのプロテスタントもルター派,カルヴァン派,洗礼派などの様々な宗派に分かれていった。
ハンブルクにも宗教改革の波が訪れた。1527年から1529年にプロテスタント改革が導入され,大聖堂は閉鎖され,修道院は解散させられ,カトリック聖職者の既得権益は剥奪された。ルターと近しい宗教改革者ヨハネス・ブーゲンハーゲンにより教会令が編纂され,ハンブルクはルター派都市となった。


120px-Stadssigill_foer_staden_Luebeck.pngハンザ時代の終焉
中世にバルト海・北海商業を支配したハンザであったが,その勢力は15世紀以降徐々に弱まってくる。イングランドやオランダなどが強力な競争相手として現れ,ハンザ諸都市による貿易の独占を掘り崩していったからである。
しかし,ハンザの衰退にも関わらず,ハンブルクはこの時期に急速な経済的成長を遂げることができた。その背景には,スペインやポルトガル,さらにハンザのライヴァルであるイングランドやオランダと密接な貿易関係を樹立したことが挙げられる。イングランドの毛織物貿易特権団体である冒険商人組合Merchant Adventurers,スペインとの戦争により商都アントウェルペンを逃亡したネーデルラント商人,スペインによる異端審問を避けイベリア半島を抜け出したユダヤ商人がハンブルクに居住し始めたのは,16世紀以降のことである。
近世は,「ハンザ都市」ハンブルクがヨーロッパ都市,世界都市へと変貌を遂げ始めた時代であった。


三十年戦争の災禍
1618年,神聖ローマ皇帝に対するボヘミアの新教徒の反乱を発端として,史上初めてヨーロッパ全土を巻き込んだ国際戦争,三十年戦争が勃発した。
戦争の災禍はドイツのほとんどの地に及び,それはハンブルクにも大きな経済的打撃となった。しかしハンブルクは戦争による直接的な損害を免れ,ほぼ無傷のまま都市内の平和を守ることができた。
そこで大きな役割を果たしたのが,巨大な都市防壁であったと言われる。1616年から1628年にかけてオランダ人建築家ヤン・ファン・ファルケンブルクの下で建設された稜堡Bastionは都市全体をぐるりと取り囲み,他都市には見られない強力な防御力を誇った(この稜堡によって内アルスター湖と外アルスター湖は明確に分断された)。

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